今回は認知症ケアについてのお話です。
私が読んだ本は「ケアってなんだろう」(小澤勲著)です。
この本の最初に「少し長いまえがき」があります。
その中に書かれている内容には認知症ケア教育におけるヒントが
散りばめられていました。
今回は主に教育する立場から学んだことをお伝えしたいと思います。
「技術としてのやさしさ」とは何か?
認知症のケアは難しいと感じている人は多いのではないでしょうか?
実際に、私が勤務している急性期病院では認知症=手のかかる人というイメージがあり、
どちらかというとネガティブなイメージが強くあります。
でも、中にはすごく上手に認知症の患者さんとコミュニケーションをとっているスタッフもいます。
私自身の実感として、認知症の方はとにかく入院してきたらすごく不安感が強いです。
きっと「訳も分からず病院に連れてこられた」というイメージなんだと思います。
そのため落ち着かず、帰宅要求が強く出たりする。
これって当たり前の反応といえばそうですよね。
こう考えることができた時、私たちは「やさしく穏やかに接する」というケアを提供できると思います。
しかし、人間色々。そしてケアする私たちも人間。
全ての場面で全てのスタッフがやさしいケアを提供できるわけではありません。
だからスタッフに「もっと患者さんにやさしく接して」と指導するのは効果がありません。
著者はそんな時の対処として「技術としてのやさしさ」を求めることを提案しています。
以下、引用文を載せておきます。
そのようなときには、感性を求めるのではなく<技術としてのやさしさ>を求めたほうが良い、と答えてきた。むろん、これは愛想笑いして商売する人をイメージしているのではない。認知症の人が抱えている不自由を一人ひとりについて熟知し、それらに対する的確な援助を考えよ、さらには、単に認知症の症状、「異常行動」ととらえるのではなく、その背景に広がる物語を読み解き、いわば彼らの訴え、表現として考えよ、という意味合いで言ってきたのである。
ケアってなんだろう(小澤勲著)p7
つまり、「あなたはやさしくないからやさしくしなさい」と感性に働きかけるのではなく、
「技術としてのやさしさ」を持つよう理性的に注意することがポイントなのです。
コーピングとしてのBPSD(行動・心理症状)
ケアする側が認知症ケアの難しいと感じる理由、それはBPSD(行動・心理症状)だと思います。
病院でよく見られるのは「帰宅願望」「徘徊」「ケアへの抵抗」などでしょうか。
よく、認知症ケアに関する本でBPSDへの対処法などが書かれた本が売られていますよね。
私は正直、そういった本はあまり参考にしません。
なぜなら、BPSDという一括りで対応はできないからです。
この本の中でも、認知症の症状について下記のような説明がされています。
認知症にしても、統合失調症や強迫神経症にしても、こころの深奥の苦悩、混乱、不安とバランスをとるために独特の症状や行動が出現するのではないか・・・
ケアってなんだろう(小澤勲著)p12
こころの奥にある苦悩、混乱、不安は人によって違います。
今目の前にいる患者さんがどのような思いを抱いているのか、
「技術としてのやさしさ」を使ってそこを理解することが必要なのだと思います。
それが理解できて初めてBPSDへのケアが見えてくるのではないでしょうか。
ケアに王道なし。時には諦めながらも悩み続ける。
認知症ケアに限らず、ケアには正解は存在しません。
これをすれば100%OKというケアはありえませんよね。
臨床の感覚で理解できるかと思いますが、みんな悩みながらケアしてるのだと思います。
著者は「戸惑いながらのケア」と表現していますが、それでいいのです。
そして、BPSDへの対応について時には諦めることも必要だと述べています。
「なんとかしよう」と思わないことも大事だと。
でもそれは何もしないということとは違います。
「できることはほんのわずか。でもそれをしないわけにはいかない。」
という考え方です。
この考え方を知ってから私はとても気持ちが楽になりました。
BPSDへの対処について相談を受けることが多いですが、
それに対して確実な解決策を提示しなくてはいけないと考えていたからです。
解決策を提示するのではなく、
患者さんが抱えている問題を共有した上で「そこでどうしたらいいか考えてみよう」
と伝えることがスタッフ教育のポイントなんだとわかりました。
認知症のケアは私はすごく人間らしさが現れるので面白いと思います。
(こう言ったら不謹慎かな・・・)
ネガティブなイメージを払拭するのはすごく時間がかかるかと思いますが、
一人でも多くの人が認知症の方との関わりから学ぶことができるといいなと思います。
それではまた明日♡
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