こんにちは。
今日は「ナラティブ・アプローチ」についてのお話です。
この言葉聞いたことはありますか?
日本語でナラティブを「物語」と訳されたりすることもありますが、
実際は少しニュアンスが違っています。
関連言語としては、「対話」「傾聴」「共感」などがあるでしょうか。
この言葉の意味を追求するとものすごい時間がかかるので今回は割愛します。
参考にした本はこちら↓
対話と承認のケア(宮坂道夫著)です。
日常に潜むナラティブ・アプローチ
ケアというと、「ケアする側」と「ケアされる側」がいて、
どちらかというとケアする側がケアされる側に行う行為として捉えがちかと思います。
つまり「ケアする側→ケアされる側」と一方向に矢印が向かっているようなイメージです。
しかし、本当にそうでしょうか?
皆さんは患者さんと会話する中で自分も癒されることってありませんか?
そういう時、患者さんから私たちはケアを受けていると言えます。
一方向の関係ではなく、双方向の関係が成り立っています。
そしてそういう現象が起こっているときは大抵の場合
皆さんはナラティブ・アプローチを実践しているのだと思います。
患者さんの語る言葉に耳を傾け、患者さんの主観に立って傾聴し会話を重ねる。
ナラティブ・アプローチとは簡単に言えばそういうことだと私は考えています。
おそらく皆さんは自然に日々行なっていることだと思います。
ケアする際には自分に意識を向けよう
私は看護師なので、看護師としての立場からお話しますが、
職業柄、私たちは感情を押し殺してしまって仕事をしていることもあります。
プライベートで何が起ころうと、看護師として患者さんの前に立つからにはプロとして振る舞う。
そういう教育を受けてきたと思います。
しかし、それってすごくメンタルに悪いんですよね。
自分の感情を無視するのではなく、自分が感じていることにまずは目を向け、
その感情を処理してから患者さんに向き合うことが望ましいと思います。
著者は「ケアする私の前に、ケアされるあなたがいる。ケアされる私の前に、ケアするあなたがいる。」と述べており、「ケアする人」の側にもナラティブがあることを強調しています。
この、自分に目を向ける習慣がケアにおいてとても重要になってきます。
どういうことかというと、ケアするということは「相手にこちらが何かをする」という訳ではないからです。
相手が求めることに対して、それに応じようとしている自分を見つめる視点を持って関わることがケアすることです。
少し難しい話になってきましたね。
著者は「応じようとする私」とも表現していますが、「ケアする私」が「ケアされる相手」にケアを投げ込むことではなく、「ケアする私」の側に「ケアされるあなた」を受け入れて一緒に感じたりすることが大切だと述べています。
そのためには、自分の感情に目を向け、相手を自分の中に取り込む余白を作らなければならないと思います。そして、相手を受け入れた私が何を感じ取っているのか、それを見つめることがケアにおいて重要になってきます。
共感(empathy)と同情(sympathy)の違い
先ほど、「ケアする私」の側に「ケアされるあなた」を受け入れ、一緒に感じたりするというお話をしましたが、そのためには「共感」する能力が必要になってきます。
そこで、共感と同情の違いについてお話します。
日本語では少しニュアンスが似ていますが、英語では区別されています。
同情とはケアする側がケアされる側の立場になって考えたときに、「ケアする私」が感じている感情です。
一方、共感とは、ケアする私が「ケアされるあなた」だったらどう感じるかという感情です。
同情は主観が「ケアする私」になっているのに対し、共感は主観は「ケアされるあなた」になります。
もちろんケアにおいて必要なのは同情ではなく共感ですね。
普段あまり意識していないかもしれませんが、共感と言いつつ、同情になったりしてないかなぁと自問してみてください。
今日は少し哲学的なお話でした。
この本はナラティブ・アプローチについて語源についても説明がされていますので詳しく学びたいかたにはとてもオススメです。
メイヤロフの「ケアの本質」とも通づることがありますので関連書として一読することをお勧めします。ケアの本質については過去記事も参照してくださいね→(記事1、記事2、記事3、記事4)
ではまた♡
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