今日は、昨日に引き続き、「ケアとは何か(村上靖彦)」という本の中から、
コミュニケーションについてお話しします。
昨日の内容は、ケアとは「共にある」ことで、
それによって患者さんと周囲の人をつなぎなおす。
そのためには「コミュニケーションを絶やさない努力」が必要であるというお話でした。
相手を100%理解するのは不可能という前提
コミュニケーションを図る上で、一番重要なこと。
それは「相手を100%理解するのは不可能である」ということです。
著者は「理解しているという思い込みは暴力」であるとも述べています。
理解しえないからこそ、可能な限り理解する、し続ける努力が必要ということでしょうね。
そして、それこそが倫理観を養うことへとつながります。
ここでまた看護倫理のお話とつながりそうですが、今回はやめておきます。
看護倫理については別の機会にお話します。
コミュニケーションの四類型
著者はコミュニケーションについて4つの類型を紹介しています。
その4つとは以下の通りです。
①当事者からのサインをケアラーが感じ取る
②ケアラーから当事者にアプローチする
③当事者の位置にケアラーが立とうとする
④当事者と共にいる
この中でも一番大事なのは、やはり①当事者からのサインをケアラーが感じ取る
ということでしょう。
私たちが日々関わる患者さんの中には、
言語的コミュニケーションに限界があることが多いかと思います。
それでもコミュニケーションを取るためにはどうしたらいいのか?
それは相手が発信しているサインを感じ取る感受性を高めることが必要です。
相手の表情を見ただけでも、「あれ?いつもとちょっと違うな」と感じたり
「今日は調子良さそうだな」と思ったりしたことがあるでしょう。
そのような感覚をぜひ大事にしてほしいと思います。
出会いの場を閉じないこと
相手からのサインをキャッチする場について、
著者は「出会いの場」という表現を用いています。
<からだ>と<からだ>が触発しあい、互いに何らかのサインを受け取る場。
そしてその「出会いの場」は決して投げ出してはいけない。
その場をその場を大事にし、常に開き続ける努力が必要です。
なぜなら、出会いの場を閉じてしまうと患者さんは孤独になるからです。
昨日の続きにもなりますが、ケアとは出会いの場を開き続けることとも言えますね。
イメージとしては生まれたばかりの赤ちゃんとのコミュニケーションでしょうか。
赤ちゃんは言葉を発しないですが、親は一生懸命サインをキャッチしようとします。
赤ちゃんの動き、表情を見て言葉にならない声を聞こうと努力するでしょう。
そうすることで赤ちゃんはこの世に存在し、一人の人間として成長していきます。
私たちが日々接する患者さんも同じです。
病によって孤独になり、この世から投げ出された思いをしているときに、
一生懸命サインをキャッチしようとしてくれる人がそばにいるだけで、
「私はここにいる」「存在していいんだ」という感覚が戻ってくるのだと思います。
それが患者さんを孤独から解放し、自分自身の力を発揮することにつながります。
出会いの場を広げ続けるために必要なこと
今日はコミュニケーションについてお話しましたが、最後にとても大切なことをお話しします
私たちは日々患者さんと1対1で関わり、コミュニケーションを図っています。
そして今日お話した「サインをキャッチする」ということをすでにやっていると思います。
ただ、それをスタッフ間で共有しているか・・・というとどうでしょうか?
「あれ?今日はいつもより表情が暗いな」「今日はいつもより動きがきつそうだな」
そういったキャッチした変化を記録に残していますか?
他のスタッフと言葉を交わして共有していますか?
私が働いている病院では、看護記録にはあまりそういったことが記載されていません。
でも直接スタッフの話を聞くと、患者さんのサインをキャッチできていることが多いです。
きちんと記録に残すことで、担当者が変わっても患者さんとのコミュニケーションは継続します。
そうやってケアに深まりが出てくるのではないでしょうか。
ぜひ今後は、患者さんの言葉にならない声を看護記録に残していって欲しいなと思います。
それではまた明日♡
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