今回は第6章:食事と第7章:食物の選択についてです。
やっと「看護覚え書」の半分まできたところです。
こんなにも丁寧に読んだのは本当に初めてかもしれません。
難しい部分は「ナイチンゲールの『看護覚え書』イラスト・図解でよくわかる!」(金井一薫編)を参考にしています。
必ず間に別のテーマも入れながら進めていくので、どうぞ今後もお付き合いください^^
第6章:食事
第6章では食事への援助について述べられています。患者さんの自然治癒力を高めるためには、食事はとても大切ですね。
つまり、食事の援助は看護師としてとても大事な援助となります。
生活リズムを整える秘訣は「食事」とも言われるくらいですので、患者さんがより安心・安全に食べることができるよう、援助していきたいですね。
患者が美味しく食べられる時間を考える
ナイチンゲールは食事の時間について下記のように述べています。
患者が食物を摂れる時刻について考慮をめぐらすこと、人によってもばあいによってもさまざまであるが、患者の衰弱が最もはげしい時間帯について観察すること、衰弱のはげしい時刻を予測しその時刻を避けるために、食事の時刻を組みかえて見ること、そのためには観察と創意工夫と忍耐力(これはまさに優れた看護師が持っている特質である)が要求されるが、そうすることによって、もっと多くの生命が救われるであろう。
フロレンス・ナイチンゲール,看護覚え書ー看護であること看護でないことー,p114-115,現代社,2017.
食事の時間は病院では決まっていますが、どうしても食欲がなく食事量が少ない患者さんがいた場合は、食事時間を柔軟に変更することも必要かもしれません。
また、患者さんに直接「いつなら食べられますか?」と聞くのではなく、観察から情報を得ることが看護師の任務であるとナイチンゲールは述べています。
患者さんの食べられる時間が変わる要因としては、①病名、②症状、③回復の度合いがあります。これらを踏まえて総合的にアセスメントした上で、患者さんが食べられる時間を把握するのです。
配膳の原則
食物は、適切な時刻に配膳し、食べても食べなくとも、しかるべき時刻には下膳すること。食物を見ただけで吐き気がする、そんな患者にしたくないなら、患者のそばに「いつも何かが置いてある」ようなことは絶対にしてはならない。
フロレンス・ナイチンゲール,看護覚え書ー看護であること看護でないことー,p115,現代社,2017.
ほとんどの病院では下膳の時刻もだいたい決まっていると思います。衛生管理上、食べていないものをそのまま置いておくことも、今ではほとんどしていないのではないでしょうか。
あとひとつ、注意すべきことは「配膳の量」です。
私も入院した経験があるからわかるのですが、入院している状態というだけで普段より食欲が低下しています。そんな時に、一度に食べきれない量の食事を見ると、余計に食欲が減退します。
私たちは、患者さんの状態を観察し、提供されている量が多いなと感じたら、調整することも必要です。
食事介助時の注意点
ここで皆さんに質問ですが、食事の介助の時、患者さんと会話をしますか?
ナイチンゲールは、食事の介助に関する注意点として下記のような指摘をしています。
食事中の病人はなるべくひとりにしておくほうが良い、と言われるが、それは問題なく正しい。たとえ食事介助の必要な患者でも、介助しながら話しかけたり話させたりしいないこと。とりわけ食物の話題は禁物である。
フロレンス・ナイチンゲール,看護覚え書ー看護であること看護でないことー,p116,現代社,2017.
このことは、私も別の本でも同じようなことが書かれているのを見たことがあります。特に、嚥下障害がある方は食事に集中させたほうが良いと。
ナイチンゲールは、介助者が話しかけることで、患者さんが食事を食べるだけでもエネルギーを消耗しているのに、さらに会話をするためにエネルギーが消耗されるということも言っているのではないかと思います。
普通に生活している私たちからしたら、食事は会話を楽しむという要素もあるものですが、相手は治療中の患者さんなんですよね。
ある程度回復していて、食欲もある患者さんであれば話しかけてもいいのかなと思いますが、そうでない場合は気をつけたいですね。
私的に、補足するとすれば、介助中の表情に気をつけたほうがいいかなと思います。マスクをつけているとはいえ、マスクの下で笑顔を忘れずにいてほしいなと思います。たまにすごい無表情で食事介助をしている方を見かけますが、それはちょっと・・・。
第7章:食物の選択
ナイチンゲールが、食事についてずっと述べていることは、「看護師の注意深い観察」が大事であるということです。
今は、治療食は医師の指示のもと栄養科へ依頼すれば患者さんに適した食事が提供される仕組みになっているかと思います。しかし、本来は看護師も栄養学の知識を持ち、「今、患者が何が食べられ、何が食べられないか」をよく観察することが食事援助に関する看護師本来の役割ということです。
患者の胃の意見に耳を傾ける
患者さんが「今、何を食べられるのか、食べたらよいのか」を考えるにあたり、ナイチンゲールは以下のように述べています。
最も肝腎な問題は、患者の胃は何を吸収できるかということ、つまり患者の胃は何から栄養を摂取できるか、ということであり、しかもこれを判定するのは患者の胃だけである、ということである。化学はこの問いに答えられない。(中略)健康人にとっては健康維持に役立つ食事も、病人にとっては命奪りになるかもしれない。
フロレンス・ナイチンゲール,看護覚え書ー看護であること看護でないことー,p127,現代社,2017.
つまり「患者の胃に耳を傾ける」ということです。そのために、看護師は日々の細かな観察と洞察力を鍛えることが求められています。
また、ナイチンゲールは、看護師の任務として以下のようにも述べています。
看護師の任務のなかでも他に比較できないほど重要な任務は、患者の呼吸する空気に注意を払うことに次いで、患者の食物の影響を注意深く観察して、それを医師に報告することなのである。
フロレンス・ナイチンゲール,看護覚え書ー看護であること看護でないことー,p129,現代社,2017.
ナイチンゲールが述べているように、食事の援助は一日3回、毎日行われる生活行為なので日常生活支援の多くを占めており、重要な任務と言ってもいいかもしれません。
病院では介護士さんが食事介助に入ることが多いかと思います。そんな時でも、任せきりにするのではなく食事時の様子を細かく確認したり、介護士さんと連携して患者さんの食事援助をすることが必要です。
特に、食事量が少ない患者さんの場合は積極的に担当看護師が食事介助に入ることをお勧めします。
高齢者の場合は割と好みもはっきりしますが、何より普段の食生活にかなりの個別性が現れていると思います。入院前はいつ、誰と、どんな風に、どんなものを食べていたのか、細かに確認することも必要となってきます。
食事に限ったことではないのですが、割と入院前の生活の状況を確認することがされていない場合があります。治療上の制限があるとはいえ、可能な限り入院前に近づけた環境で生活が送れるように援助していきたいですね。
※注※「食事介助」と「食事援助」という言葉の2種類を使っていますが、私の中での使い分けですが「食事介助」と言った場合には「食べることを介助する」という意味で使っています。一方、「食事援助」というのは「食事介助」も含めて「患者さんの食生活を支援する」という大きな意味で使っています。
最後に、今回もナイチンゲールの厳しいお言葉を添えて終わりにしたいと思います。
看護師は知的な存在であって、たんに患者の食膳をあげさげする運搬人などではないというのであれば、彼女が持っている知性をこれらのことに活かそうではないか。
フロレンス・ナイチンゲール,看護覚え書ー看護であること看護でないことー,p117,現代社,2017.
ではまた明日♡
コメント
深い、、、
私が関わる患者さんは、今食べて体力維持して筋肉骨格も維持して、治療頑張ってもらいたい方と、、食べる目的を変えないといけない方それぞれで。
その患者さんを支えている家族の、食べて欲しい気持ちもあり。さまざまな想いで、溢れております。
大切な大切な時間。お互いの想いをしっかり聞いて、お支えしなければ、と思うのです。
頑張ります!
みゆうき様
いつもコメントありがとうございます。
そうなんですね。食べて頑張って欲しい方と、食べる目的を変えなければならない方・・・。
どちらにしても、食べることでエネルギーを消耗しないようなケアを試行錯誤したいですね。
家族の思いもすごくよくわかります。家族としては食べて欲しいですものね。
さまざまな想いが交錯する、まさに倫理的ジレンマですよね。
何が正しいとかはないですよね。この、悩むプロセスがきっと大事ですね。
力みすぎず、程よく力も抜きつつやっていきましょう♡