ナイチンゲールの「看護覚え書」を読み解く①〜「序章」「換気と保温」〜

看護

今回は、ナイチンゲールの「看護覚え書」についてです。

過去に「看護の仕事って何?」というテーマでナイチンゲールについても触れました(過去記事)が、その後から、ナイチンゲールの「看護覚え書」をきちんと勉強しなくては・・・と思い、今日から始めました。

学生の頃に買わされて(笑)、きちんと読んだことはあまりないのが正直なところ。

何となく大事なことが書かれているのはわかるので、暇な時にパラパラめくって部分部分読んだりする程度でした。

今日から1章ずつ勉強して、このブログでアウトプットしていきますのでお付き合いよろしくお願いします。

でも、毎日ナイチンゲールが続くとうんざり?する方もいると思うので、間に他のテーマを入れ込みながら投稿しますね。

序章 病気とは回復過程である

まず序章から見ていきましょう。

「病気とは回復過程である」。この言葉は聞いたことある方も多いのではないでしょうか?

具体的にはナイチンゲールは下記のように述べています。

病気とは、毒されたり衰えたりする過程を癒そうとする自然の努力の現われであり、それは何週間も何ヶ月も、ときには何年も以前から気づかれずに始まっていて、このように進んできた以前からの過程の、そのときどきの結果として現われたのが病気という現象なのである。

フロレンス・ナイチンゲール,看護覚え書ー看護であること看護でないことー,p13,現代社,2017.

これがナイチンゲールの看護論の大前提となっています。

何だか、わかるようなわからないような・・・という感じですね。

わかりやすく、風邪で例えると、私たちは風邪をひくと咳、鼻水、くしゃみ、熱などの症状が出ますよね。

その症状は時間の経過とともに変化していきます。また、体から悪いものを出そうと思って咳や鼻水、くしゃみが出現しているし、ウイルスなどと戦って熱が出ているという考え方です。

つまり、自分自身が持っている自然治癒力からくる症状が、結果として病気という現象をもたらしているということです。

そして、看護とはこの自然治癒力を高める関わりをすることであるというのがナイチンゲールの考え方です。

この自然治癒力を高めるとは下記のようなことです。

看護とは、新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさなどを適切に整え、これらを活かして用いること、また食事内容を適切に選択し適切に与えることーこういったことのすべてを、患者の生命力の消耗を最小にするように整えること、を意味すべきである。

フロレンス・ナイチンゲール,看護覚え書ー看護であること看護でないことー,p14,現代社,2017.

ナイチンゲールは、私たちが病気につきものだと考えている症状や苦痛などが、実はその病気の症状では決してなく、看護の手が行き届いていないから生じていることも多いと指摘しています。

例えば、「癌なのだから痛みがあるのは仕方ない」というのではなく、新鮮な空気をはじめとして、自然治癒力が高まる看護を行った上で、さらに安楽をもたらす看護を実践することで苦痛は取り除けることもあるということだと思います。

ナイチンゲールは看護の技術を「art」と表現しています。私たちは創意工夫をしながら、どのようにすれば患者さんの自然治癒力を高めることができるのか考えていくことが求められているのだと思います。

第一章 換気と保温

看護の第一原則は、「患者が呼吸する空気を、患者の身体を冷やすことなく、屋外の空気と同じ清浄さに保つこと」とナイチンゲールは述べています。

そして、このことは大事であるにも関わらず、ほとんど注意を払われていないと指摘しています。

換気と保温についてのポイントを箇条書きにしてみます。

  • 患者の体から出る熱と湿気で腐敗しかかった空気を、繰り返し患者に呼吸させることがないよう換気を行う
  • 眠っている人間の身体は、目覚めているときに較べて、汚れた空気の影響をはるかに強く受ける(夜間の換気)
  • 朝、病室から外気のなかへ出て、再び病室に入ったとき、少しでもムッと感じることがあるならば換気は不十分である
  • 患者の足先や脛にときどき手を当て、温度を確かめ、冷え込みの徴候が見られたらその度に保温を行う
  • 患者は常に外から与えられる熱がちょっと不足しただけで衰弱するものである(特に明け方に注意)
  • 室内で立ち止まっているときに微かな風の動きが頰に感じられるくらいがちょうどいい
  • 清拭や肌をさらしているときにはけっして開いた窓やドアからの吹き抜け風に当ててはならない
  • 病室に臭気や湿気を発散するものは何物もおいてはならない(湿ったタオルなど)
  • 空気を浄化するための製品に頼るのはやめる(芳香剤や消毒薬など)

この中で、私がびっくりしたのは、「湿ったタオル」をおいてはならないということでした。

今まで、良かれと思って患者さんの消灯台に使ったタオルを水ですすいで干していました。

しかし、きちんと洗ったわけでもない使用後のタオルを患者さんの消灯台(つまりは枕元に近い場所)に干しているということは、「その湿気が患者さんの吸う空気の中に入っている」ということなんですね。

また、ナイチンゲールはこのような看護は「常識と気づかい」であり、看護という仕事ほど、些細なことで常識のなさが露呈されてしまう仕事はないと述べています。

ドキッとしますね。常識がないと言われないよう、精進します!!

ちなみに、ヘンダーソンも「看護の基本となるもの」の中で、環境の温度と相対湿度、不愉快な臭気を含め空気中の刺激性物質の存在に注意すべきだと述べています。

「役目」よりも先に「患者のために何をなすべきか」

最後に、第一章の中で印象に残った言葉を共有したいと思います。

・・・まず患者のために何をなすべきかを第一に考え、次に自分の「役目」は何かをひたすら考えている。一方、現に病人が被害を受けているというのに、これをしてくれる女中を待ち、あれをしてくれる雑役婦をあてにしているような女性は、自分の中に看護師としての<素質>を欠いている。

フロレンス・ナイチンゲール,看護覚え書ー看護であること看護でないことー,p40,現代社,2017.

病院では多職種が患者に関わっていますが、何か問題が起きたとき、「これは私の役割ではないから」と手を出すのをためらったりということがあると思います。しかし、患者さんからすると困りごとを解決してくれるなら「誰でもいい」んですよね。

「これは私の役割ではない」と互いの職種が言い合って「隙間」ができるよりは「私がやります」「私もやります」と言って重なり合うほうが患者にとってはいいですよね。

私も、つい「役割」から考えてしまうことがあります。常に「患者のために何をすべきか」ということを第一に考えられるようになりたいものです。

ナイチンゲールは結構毒舌・・・いえ、はっきりとした物言いで「看護のせい」という言い方がちらほら見受けられます。

ぐさっと心に刺さりますが、その度に背筋が伸びる思いがします。

看護学生だけでなく、現役の看護師だからこそ読むべき1冊だなぁと思いながら読み進めています。

ヘンダーソンの「看護の基本となるもの」も併せて読むとより視野が広がると思います。

ではまた明日♡

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